コラム:ユベントスとデル・ピエロの軌跡(後編) | ユベントス・ジャーナル

コラム:ユベントスとデル・ピエロの軌跡(後編)

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 イタリアを代表するFIATグループ(自動車会社)の元名誉会長で、ユベントスでも同様に名誉会長も務めたジョヴァンニ・アニェッリ氏と初めて会ったときのことを語っている。アッヴォカート(弁護士)として親しまれ、現在の会長アンドレア・アニェッリ氏の祖父である。

 「彼に初めて会ったのは、UEFAカップ(1993-94シーズンの準々決勝)でカリアリに敗れ、敗退が決まったばかりのときだった。そのタイミングは機嫌が悪かったよ。僕らはパルマ戦を控えていて、合宿を行っていた。トレーニング中にアッヴォカートはピンクの紙切れを持ってきた。それは『La Gazzetta dello Sport』で、UEFAカップウィナーズカップ準々決勝でパルマがアヤックスを破った試合の記事だった。そこで彼はこう言ったんだ、“私が思うに、君たちはここに書かれている彼らよりも素晴らしい”と。まるで僕を揶揄しているようだったよ。その後、他の選手達と話をして、結局僕とは話さなかった。でもその次の日、試合で僕が3ゴール決めたら(パルマ戦:4−0で勝利)、ようやく僕のところにも電話が掛かってきたってわけさ」

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 デル・ピエロの話からは、ユベントスで過ごした20年間で多くの経験を積み、選手としても、一人の人間としても成長してきたことが垣間見える。このクラブで酸いも甘いも嚙み分けてきたことが、今のデル・ピエロの礎を築いているのかもしれない。

 ボニペルティが惚れ込み、18歳でユベントスの門を潜ってから様々なタイトルを獲得してきた。そしてこのクラブで成熟し、一人のリーダーとしてクラブを引っ張ってきた姿をユベンティーニはよく知っているはずだ。

 デル・ピエロのユベントス最後の日は、セリエBから昇格後、長年くすぶっていたクラブが復活の狼煙を上げたシーズンでもあった。かつてデル・ピエロと同じように主将を務めたアントニオ・コンテ監督に率いられ、6年ぶりのスクデット獲得に歓喜した年だ。

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 2011-12シーズンの最終節。この日のトリノは待ちわびたイタリア制覇に湧いた。それと同時にユベンティーニは、新たな冒険に旅立つカピターノを盛大なリスペクトを持って送り出している。そのリスペクトは、今後ユベントスがどれだけ歴史を積み重ねようと忘れ去られることはないだろう。

 子どもの頃、デル・ピエロが憧れたビアンコネーロのレジェンド達と同じように、「アレッサンドロ・デル・ピエロ」という名がクラブの歴史に刻まれていることは紛れもない事実だ。

 11月1日、ユベントスは120周年の節目を迎えた。1世紀を超えるその歴史の中で「705」もの試合に出場し「290」回もネットを揺らしたデル・ピエロは「ユベントスで最も成功した選手」と言っても過言ではない。

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 1974年11月9日にイタリアで生まれ、同じ誕生月のクラブ・ユベントスで育ったバンディエラの存在は、これからもユベンティーノの心に永遠に生き続けてゆくだろう。

 著者/Juventus Journal イタリア局 Norihito Miyagi

>>コラム:ユベントスとデル・ピエロの軌跡(前編)

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コメント

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  • 1996年11月26日(火) 国立競技場

    彼のゴールでクラブ世界一になった事が一番の思い出です。来日時に成田でサインをもらい、試合で彼のゴールを生で見た。
    ユヴェンティーノとして幸せな瞬間だった。
    ありがとう、アレックス。

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  • ラストゲームは感動しました。
    ああいうお別れ方はデル・ピエロだから出来たのでしょうね

    3+

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