コラム:ユベントスとデル・ピエロの軌跡(前編) | ユベントス・ジャーナル

コラム:ユベントスとデル・ピエロの軌跡(前編)

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 1897年にトリノの学生達が創設したユベントスは、120年という長い歴史を経て世界的なビッグクラブへと成長を遂げた。その偉大なクラブで10番というエースナンバーを背負い、ファンタジスタとして人々を魅了してきたその1人がアレッサンドロ・デル・ピエロだ。

 ビアンコネーロ(白と黒:ユベントスの愛称)の栄枯盛衰を選手として経験したカピターノ(キャプテン)は、その華麗なプレーだけでなく、紳士的な人物としてもよく知られている。ティフォージ(ファン)からの期待を受け、それに応え続けてきた彼の姿は、このクラブを象徴するものだといっても過言ではないだろう。

 約20年の歳月をユベントスと共に歩み続けたデル・ピエロが、クラブでの日々をイタリア『スカイ・スポーツ』の番組で明かしている。

 18歳で名門ユベントスに加入したデル・ピエロ。憧れていたチームへの加入当初は、高揚感に溢れていたと話す。様々な思いを抱きながら過ごした日々を記憶をたどりながら語っている。

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 「トリノでの初めての夜、僕は目を閉じることができなかった。まだ18歳で、ユベントスのティフォージ(サポーター)だったからね。そのことを差し引いても、僕はイタリアで最も偉大なユベントスの世界に足を踏み入れたんだ。素晴らしい時代を歩み、最も多くのタイトルを獲得し愛されたクラブだよ。大きな幸福感に包まれ、初めの頃はほんの少ししか眠ることができなかった」

 また、多くのカンピオーネ(勝者、一流選手)を擁するクラブで、プレーすることの厳しさを感じていたようだ。

 「新しいスタートのときは、いつもそうだ。最初のパフォーマンスは酷いものだったよ。それに(ロベルト)バッジョや(ジャンルカ)ヴィアリのようなハイレベルなチームメイトが近くにいて、本当に難しいという印象を受けた。でも、彼らは僕を本当に助けてくれた。最高の仲間、チーム、そしてクラブだと、そのとき確信したよ」

 デル・ピエロが加入した当時、クラブの会長を務めていたジャンピエロ・ボニペルティ。プロとしてのキャリアをすべてユベントスに捧げた伝説的な選手で、彼もまた、かつての10番だった。そして彼が、デル・ピエロをユベントスへと招き入れた張本人でもある。

 デル・ピエロは、そんなボニペルティと初めて会ったときのことを回想し、彼との逸話を語っている。

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 「契約にサインする前、ボニペルティは僕をユベントスvsウディネーゼの試合に招待してくれた。そこで、彼が最初に僕に言ったことは、『髪を切りなさい』だった。そう言われるだろうと思って会談の前にすでに髪を切っていたにも関わらずね。それでもまだダメだったみたいで」

 この話だけでも、ボニペルティがどれだけ厳格な考えを持った人物なのかがわかるだろう。そしてユベントスが、規律を重要視するクラブだということが伺える。

 さらにデル・ピエロは、ユベントスと契約を交わした日のことをこう振り返った。

 「面白い出来事といえば… 僕は代理人と契約の話し合いに向け念入りに案を考えていた。給料について最低限の金額を準備して、トリノにあるボニペルティのオフィスに行ったよ。僕らは5分ぐらい他愛もない話をし、とても陽気な雰囲気だった。そこで急に会話が途切れ『これがサインする契約書ね』と、突然切り出されたんだ。契約書を見て、私と代理人は5分だけオフィスから出て話をし、サインするために部屋に戻った。僕らが考えていた金額を遥かに下回る額だったよ。とはいえ相手はボニペルティだ。彼に何か言えるかい?」

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 当時のデル・ピエロの契約金は、5億リラ(約680万円)だと伝えられている。その後デル・ピエロは、約20年ものキャリアをビアンコネーロで送り、数々のタイトルを掲げることになる。この日の選択は決して間違っていなかったと言るだろう。

 また、ユベントスでデル・ピエロとジャンルイジ・ブッフォンに次ぐ「552」もの試合に出場し、偉大なリーダーとして知られるガエターノ・シレアについて、記憶を振り返りながら話している。

 「シレアについては様々な記憶があるね。まず僕にとっては、FW(DFとしてもプレー)としても他の選手より上のレベルにいたということ。当時、まだ子どもながらに衝撃的な記憶として残っているのは、彼が死去したニュースを知ったとき、僕の母はテレビの前で泣いていたことだ(1989年9月3日に対戦相手の視察で訪れたポーランドで事故に遭い帰らぬ人となった)。僕にとっては、知ってのとおり素晴らしい選手だった。それにカルチョのレベルにおいても、ピッチの外でも偉大な人物だったと思うよ」

 2008年4月6日、セリエAパレルモ戦でシレアが持っていたクラブ歴代最多出場記録を更新したデル・ピエロ。彼にとって印象的な日となっているようだ。

 「彼のビアンコネーロでの出場記録を塗り替えた日は特別な日で、僕にとってはシンボルでもある。彼のユニフォームを受け取ったときは誇りに感じたよ」

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 さらに、「シレアは口数の少ないリーダーだったのではないですか?」という質問に対し、デル・ピエロ自身のリーダー像について考えを明かしている。

 「リーダーというのは、それぞれの特徴だと言える。色々なことを大声で発するという人はあまり見たことがないね。僕が考えるリーダーというのは、すべての行いが周囲の手本となるように実際に示すことだと思う。僕もそうやってきたよ。彼はそれをすべてにおいて理解していたと思うし、より明確だった。物事の取り組み方や、やり遂げる姿勢、プレーのエレガンスさにおいても、リーダーとしての彼の特徴的な部分だ。姿勢を示し、それが他へと伝えられていく。チームメイトから受け取るリスペクトが、リーダーだと認められるものになるんだ」

 デル・ピエロがピッチだけでなく、ピッチを離れたところでも紳士的に振る舞う姿勢には、シレアという“真のリーダー”の存在があったからなのかもしれない。

 著者/Juventus Journal イタリア局 Norihito Miyagi

>>コラム:ユベントスとデル・ピエロの軌跡(後編)

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コメント

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  • 昔から厳格なクラブですね
    ボニペルティ会長もデル・ピエロにビビッときたんでしょうな

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